部分と全体

合氣道のお稽古で、初めての方に技のやり方を伝える際、結構苦戦します。
まずは大体の動きを説明するので、自然のリズムに従ってその動きを真似してもらうのが希望です。
ところが、
①大まかな動きをリズムよくできなくて止まってしまう。
②そこで止まってしまう原因を探ろうとする。
③その技のあらゆる箇所で②を繰り返す。
ということをやってしまい、全体の動きを把握しないまま部分的な動きに囚われてしまう場合が多々あります。
そうすると、全体としての動きがちぐはぐとなってしまい、とても技として成立しなくなってしまいます。
部分というのは全体の一部なので、まず全体がないと部分は成立しません。
部分を繋げて全体を作ることはできないようです。
色々な構造物がありますが、まず全体像があって部品の大きさが決まります。
有り合わせの部品を使って何かを作ると、あまり良いものはできないのではないでしょうか。
絶対に必要な部品があって、その大きさを考慮して全体像が決まることもあるかもしれませんが稀だと思います。
自然言語の習得については、特に「全体から部分」が顕著だと思います。
日本の英語教育を受け、単語を覚えて、文法を覚えて、それを繋げて会話をしようとして破綻した経験を持っている方も多いのではないでしょうか。

それぞれの言語特有の音やリズムがあって、最初、赤ちゃんは大波で「あーあー、うーうー」言っているところから、成長に伴い徐々に単語の音がクリアになっていきます。
このことからも、特に自然に関しては、「全体があって部分がある」ということがどうも事実のようです。
「部分と全体」という本にそのようなことが書いてあったと思います。
合氣道然りで、全体から部分を理解することが自然であり、まずは、全体を把握することが大切なのだと、お稽古を一緒にさせて頂く中で改めて考えさせられています。

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適当力

職場で、私が適当にやるときには確実に上手く行くと同僚に言われました。
確かにそうかも。
このように言われてから、適当にやるマインドのことを、私は適当力と呼んでいます。
で,この適当力,合氣道でもとっても大切。
先生も「適当にやればいいの!」という。
ちなみに、「適当にやる」のと「怠ける」や「出鱈目にやる」のは違います。
お稽古で上手くできないときは,大体適当にできていません。
なんか、頑張りすぎて,深刻な顔になっています。
ゆるく,適当に,自然と調和して存在しているときにパフォーマンスが最大化するように我々は設計されているようです。

ところで,合氣道で相手を投げ飛ばせても現代社会ではあんまり意味がないんですよね。
武道だから,身を守るということが目的にあるとは思うけど,護身術として使えるようになるには,師範クラスの中でも相当の高段者の先生じゃないと難しいのではないかと思います。
それに、そんな状況には遭遇したくありません
それよりは,どう心地良く生きていくか,どう楽しく生きていくか,どうすれば全体のパフォーマンスが上がるのか,そのために周囲の人々とどう関わっていくのか,ということを学ぶ方が有益です。
じゃあ,なんで合氣道をやるのかというと,相手を投げるということを通して,相手の要求を理解した上で自分が正しく動くということを具体的に理解するためだと思っています。
きれいに相手を投げることができるということは,自分のマインドが適当で周囲と調和していることの証なんですね。
だから,多くの人とお稽古できると、より学びが大きくなると感じています。
強情な人,わがままな人,優しい人,厳しい人,意地悪な人,明るい人,暗い人,ご機嫌な人,不機嫌な人などなど、様々な人と関わることで,人への対応力が広がっていくのだと思います。
適当に生きていくということを、合氣道を通して理解し、日常生活に活かしていくと、幸せでいられるのではないかと考えています。

 

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丁寧に触れること

お稽古中、我々がうまくできない時、それを見て先生は「雑だね~」とおっしゃいます。
確かに雑です。
合氣道ではそれなりに相手との接触があります。
この接触する際に雑さがあると、相手は抵抗します。
こちらが雑に触れると、相手の接触部に刺激を与えてしまいます。
この刺激が相手にとっては不快なんです。
不快なことをされているのに、こちらに協力してくれるはずがありません。
不快なことをされたら、間違いなく嫌がるでしょう。
その結果、こちらが動いてほしいところに動いてくれないという、いつもの争いが勃発します。
では、相手が嫌がらないように触れていくというのは?
言語化するのが少し難しいのですが、本当に力を抜いて、壊れ物を取り扱う時のように丁寧に、かといってビクビクしないで接するという感じでしょうか。
雑の反対が丁寧だから、そのままですね。
少しでも刺激を与えたら壊れてしまうものを取り扱わないといけないとなったとき、まずはそっと触れますよね。
過度に緊張して、手や腕に力が入ってしまうと、自分の身体がゴツゴツしてしまって、ソフトに取り扱えなくなります。
だから、過度に緊張してはダメなようです。
お稽古を通して、そっと触れながらも、スムーズに取り扱うということを、身体的にも精神的にも学んでいると思います。

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立ち姿

「二本足で立つ」という日常的に行っていることでも、結構効率の悪いやり方をしている場合がある。。
一般的に「正しい気を付け」の姿勢でどれくらいの時間そのままでいられだろうか。
きっとどこかに力が入っていて、そう長くは立っていられないと思う。
「気を付け」は「氣を落ち着ける」ことだと先生は言う。
だから、落ち着く姿勢が目指すところだ。
この落ち着く姿勢を我々は統一体と呼んでいる。
統一体に修正されると、本人に違和感がある場合が多い。
今までバランスの悪い姿勢に慣れてきた身体が使っていた筋肉と、統一体で使う筋肉は違うためのようだ。
それでも、統一体がバランスの取れた姿勢であることは間違いなさそうだ。
それは「氣のテスト」で分かる。
バランスが良いので、外側からの刺激に対しても必要以上に影響を受けないのである。
ただし、「立ち姿」という形に囚われると、身体のどこか強張り、氣の流れが滞る。
また、外的刺激に反応してしまい意識が囚われてしまうと、そこに滞りができる。
どちらも心が囚われた結果、身体に滞りが発生する。
滞りができた時点でもう統一体ではない。
過去に囚われ、未来に不安を抱くと統一体が崩れる。
すなわち自分のパフォーマンスを下げてしまうことになる。
なので、今に集中するように心と身体を使っていく。
「たかが立つ、されど立つ」なのだ。
こりゃぁもう、仏教だな。

悟り(?)に向けて精進していこう。

 

そういえば、悟りとは平然と死ぬことではなく、平然と生きていくことだと正岡子規が言ったそうだ。
辛かろうが、激痛があろうが、それを笑い飛ばして平然と生きていくという精神力が素敵過ぎます。
あ、これ、唯識

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氣を導く稽古

お稽古の流れで、「氣を導く」に特化した稽古を行いました。
一方が右腕で抱き着くような形を作る。
他方が前者二の腕の氣を右手で導き、そのまま前者を動かしてしまうというもの。
もちろん後者が手で引っ張っては動きません。
「氣」を動かすことが必要になります。
で、「氣」ってあんまり見えないんです。
見えないものを動かすという説明が結構難しい。
それで、実際に感じてもらいながら説明しています。
こちらが気を付ける点として、相手の身体に刺激を与えてしまうと、相手の氣が引っ込んでしまうようなんです。
ちょっと想像してみると、自分が誰かに「ガツン」と押されたり叩かれたりされると、「ビクッ」としますよね。
これが氣を引っ込めた状態なんです。
先のワークで、自分の右手で導こうと相手の腕に「ガツン」と触れてしまうと、相手は「ビクッ」と縮まってしまって、自分の側に来てもらおうとしているのに、反対に相手側に引き篭もるように動いてしまいます。
自分勝手にやると、必ず相手はビクッとするようです。
相手がビクッとするということは、相手が自分を敵だと感じているサインなのだと思います。
つまりは相手と自分の間に争いが生じていることになります。
その争いを生じさせている原因を提供しているのは自分です。
相手が嫌がることを、自分ではそうとは気づかずにやっているんですね。無自覚に相手に嫌がらせをしている自分が怖く感じます。
だから、こちらとしては、相手をビクッとさせないように対応する必要があります。
では、どうビクッとさせないようにするのかが課題になります。
解決策の導入段階としては「そ~~~っと」やるです。
「ガツン」とやらないためには「そ~~~っと」なんです。
相手がその気にならないと、絶対にこちらに同意してくれません。
相手の腕に触れるか触れないかのところで、「そ~~~っと」相手の二の腕が向いている方向に自分の手の動きを合わせていきます。
ホントに「そ~~~っと」やります。
よちよち歩きの赤ちゃんの手を引くくらい「そ~~~っと」です。
赤ちゃんの手を引くような状態を再現できると、すこ~し相手がこちら側に傾いてきます。
こうなると相手の「氣」を出させること、すなわちその気にさせたことに成功したと言えます。
そこから、接触部分の圧が変わらない程度に、相手の動きに合わせてちょっとずつ手の動きを身体全体で加速していきます。
手だけでやっては力が入ったりして接触部の圧に狂いが生じるので、身体全体の動きとして手を動かします。
その結果、相手はこちら側に動いてくれます。

赤ちゃんに寄り添うように相手を支える。
また、逆に自分が赤ちゃんとして相手に寄り添ってもらうように支えてもらう。
その両方を同時に成立させると、「氣を導く」がうまくできそうな感じでした。
同様のマインドで生活すると、対人関係や組織の運営もスムーズになりそうです。
赤ちゃんって今やることに全力で取り組んでいて、策略がない故に周囲のサポートなりを受けやすいのかもしれませんね。
赤ちゃんのように策略を持たないで行動できるようにという策略を持ってお稽古している私です。

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安定と死

何かの記事を読んでいて、究極の安定とは「死」だと書いてありました。
新しくあり続けないと、安定して止まってしまう。それは死を意味するとのことでした。
組織の在り方についての話でしたが、個人でも合氣道でも同じことが言えると思います。

停止と静止は似ているようで全く異なります。

独楽が激しく回る時、止まっているように見えます。一方で、全く回っていない時も止まっています。前者は静止で後者は停止。

我々人間も、集中している時には落ち着いているものの、物事に即対応可能な状態になっています。一方で氣が抜けた状態では、そのような対応はできません。

集中力が高まっている身体の状態と独楽が高速で回転している状態はバランスをとっているところで似ていると思います。独楽は回り続けることでバランスを保ち、立った状態を維持しています。人も倒れる寸前でバランスを取り続けている時が最もポテンシャルが高い状態にあるのではないかと考えていて、現在、お稽古でいろいろと試しているところです。

少し話が飛びますが、人間の体は日々変化して更新され続けています。それが生きるということなので、人間の体は元々不安定な存在なんでしょうね。で、安定の死に向かってバランスを取り続けているという、冒頭の「安定は死」という話になりまして、そう考えると、私の体は本当に良くやってくれていて、感謝の念が湧き上がってきたりします。

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氣を導く

「氣を導く」に特化したワークを行った。
一方が右腕で抱き着くような形を作る。
他方が前者二の腕の氣を右手で導き、そのまま前者を動かしてしまうというもの。
もちろん後者が引っ張っては動かない。
「氣」を動かすことが必要になる。
で、「氣」って見えないんです。
見えないものを動かす説明が結構ムズイ。
それで、実際に感じてもらいながら説明してみることにしている。
相手の身体に刺激を与えてしまうと、相手の氣が引っ込んでしまうようなんです。
ちょっと想像して、自分が誰かに「ガツン」と押されたり叩かれたりされると「ビクッ」としますよね。
これが氣を引っ込めた状態なんです。
先の右手で導こうとして相手の腕に「ガツン」と触れてしまうと、こちらに来てもらおうとしているのに、相手は「ビクッ」と縮まってしまって、反対の方向に力が行ってしまう。
自分勝手にやると、必ず相手はビクッとします。
相手がビクッとするということは、相手と自分の間に争いが生じていることになります。
その争いを生じさせている元は自分です。
相手が嫌がることを、自分ではそうとは気づかずにやっているんですね。
全く意識しないで相手に嫌がらせをしている自分の無自覚さが怖く感じます。
だから、こちらとしては、相手をビクッとさせないように対応する必要があります。
では、どうビクッとさせないようにするのかが課題になります。
導入段階として「そ~~~っと」やるです。
「ガツン」とやらないためには「そ~~~っと」なんです。
相手がその気にならないと、絶対にこちらに同意してくれません。
相手の腕に触れるか触れないかのところで、「そ~~~っと」相手の二の腕が向いている方向に自分の手の動きを合わせていきます。
ホントに「そ~~~っと」やります。
よちよち歩きの赤ちゃんの手を引くくらい「そ~~~っと」です。
赤ちゃんの手を引くような状態を再現できると、すこ~し相手がこちら側に傾いてきます。
こうなると相手の「氣」を出させることに成功したと言えます。
そこから、接触部分の圧が変わらない程度に、相手の動きに合わせてちょっとずつ手の動きを身体全体で加速していきます。
手だけでやっては力が入ったりして接触部の圧に狂いが生じるので、身体全体の動きとして手を動かします。
その結果、相手はこちら側に動いてくれます。

赤ちゃんに寄り添うときは、自分も赤ちゃんに支えられていると私は感じています。
赤ちゃんに寄り添うように相手を支える。
逆に自分が赤ちゃんとして相手に寄り添ってもらう。
その両方を同時に成立させると、対人関係、組織の構造がスムーズになりそうです。
赤ちゃんって今やることに全力で取り組むだけで、策略がない故に周囲のサポートを受けられるんでしょうね。
策略を持たないで行動できるようにという策略を持ってお稽古している私です。

 

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