安定と死

何かの記事を読んでいて、究極の安定とは「死」だと書いてありました。
新しくあり続けないと、安定して止まってしまう。それは死を意味するとのことでした。
組織の在り方についての話でしたが、個人でも合氣道でも同じことが言えると思います。

停止と静止は似ているようで全く異なります。

独楽が激しく回る時、止まっているように見えます。一方で、全く回っていない時も止まっています。前者は静止で後者は停止。

我々人間も、集中している時には落ち着いているものの、物事に即対応可能な状態になっています。一方で氣が抜けた状態では、そのような対応はできません。

集中力が高まっている身体の状態と独楽が高速で回転している状態はバランスをとっているところで似ていると思います。独楽は回り続けることでバランスを保ち、立った状態を維持しています。人も倒れる寸前でバランスを取り続けている時が最もポテンシャルが高い状態にあるのではないかと考えていて、現在、お稽古でいろいろと試しているところです。

少し話が飛びますが、人間の体は日々変化して更新され続けています。それが生きるということなので、人間の体は元々不安定な存在なんでしょうね。で、安定の死に向かってバランスを取り続けているという、冒頭の「安定は死」という話になりまして、そう考えると、私の体は本当に良くやってくれていて、感謝の念が湧き上がってきたりします。

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