落ち着きと氣が出る場

最近、受けの攻撃について考えるところがあり、お稽古の中でも確認している。
今回は、肩取りに関する動きについて考えてみた。
簡単に言うと相手の胸倉を掴むような感じで取りに行くのだが、そのように乱暴に取りに行っては簡単にやられてしまう。
粗雑にやると、その粗雑さが全部自分に返ってきてしまって大きなダメージを受ける。
相手の道着を掴むのだが、相手の皮膚へ刺激を与えないように道着を掴む。
乱雑に手を動かすと、自分の手が相手にぶつかってしまう。
正確に道着だけを掴みに行く。
だからと言って恐る恐る掴みに行くわけではない。
しっかりと意思を持って掴みに行く。

この動作を一人でやってみると意外とうまくできない。
腕を動かすと身体のバランスが微妙に崩れ、不安定な状態になってしまうことが多々あるようだ。
そうなると、出した腕が軽々と持ち上げられてしまう。
一方で、意思を持って出した腕は簡単には持ち上がらない。
それどころか、不思議なことに自分の腕を持ち上げようとしている相手ごと自分の腕を下すことができる。
この状態を狙ってお稽古を行う。
腕だけを動かすとNG。
腕を動かすのに全身を使うと表現が適切だろうか。
背中や腰や太腿やふくらはぎや足の裏など、全てが少しずつ関与して腕を動かす。
(あぁ、そういえば生徒が全力で腕を上げようとするのを先生が横に立って腕を上げるのを妨害して、生徒さんに腕を上げようとさせ続けた後に、妨害をやめて生徒さんが腕を上げると自然に軽く腕が上がり、盤石の状態にあるというのがあるが、それは妨害されている間、生徒さんは身体全体でその妨害に対して腕を上げようとしていて、妨害がなくなった瞬間、その体の使い方が、最小限の動きとなって腕が上がっていくということなのかもしれない。)
部分のみを動かすのではなく、全体が連動して部分を動かす。

また、相手と対峙してこの動きを行うと、道着を掴みに行っていないことが判明する。
単に自分の手を相手の胸辺りに差し出すように出しているだけという動きになっている場合がある。
この動きを傍から見ていると、落ち着きがないように見える。
そうすると、見ている側も何となくざわざわした感覚になって、落ち着かない感じがしてしまう。
先の一人での動作をここに応用できるようにしていきたい。

 

ところで、道場外でも、例えばレストランなどの給仕の方に料理を雑にテーブルに置かれると、ちょっと嫌な感じがする。
一方で、落ち着いた感じでスマートに給仕してくれると、こちらも穏やかな感じになる。
落ち着いた無駄のない動きは、日常的な所作に現れてくる。
意思を持たない雑な動きは周囲へも波及し、場を乱しかねない。
逆に意思のある落ち着いた動きは、場を整える効果があるかもしれない。

ある企業の面接官の方は、面接を受けに来た人がその場の雰囲気を変えられる人かというのを採用基準の一つしていると話していた。
面接を受けに来た人が部屋に入ってきた瞬間に、その場が何となく明るくなったとか、その場にいる人たちの緊張感が解けたとか、そういう変化を見ているということだったと記憶している。
その人の持っている圧倒的な何かは場の雰囲気を確実に変える力がある。
氣が出ている人は氣が出る場を作ることができるのだろう。
無意識に不快な方向へ場の雰囲気を変えてしまうという人もいると思うが、それは問題外。
我々は、凛とした心地良い場を形成できるように精進していきたい。

 

 

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